差別に関して社会統制が厳しくなればなるほど、こうしたいわば内的統制としての感情統制も厳しくなる。現代日本においては誰もアイヌや在日韓国朝鮮人に不快を感じてはならない。現代アメリカにおいては、誰も黒人やゲイを不快に思ってはならない。
被差別特権階級とは別に日常社会にも差別は通奏低音のように流れている。
身体的特徴、学歴、家族愛、病気、恋愛、資産、いろんな事を口にするたびに高みから見下ろす人間の悪臭が放たれる。
無意識のうちに、何気ない一言に、被差別者は全身に傷を負う事もある。
われわれは、それを日常的に感じながら、それを感じていない振りをして生活している。
むしろ善良そうに見える人に差別感情はたっぷり染み込んでおり、
被差別者に対し、首をもたげ高みから見下ろしている。
罪のない冗談の中に、何気ない誇りのなかに純粋な向上心の中に、差別の芽は潜みそれを放っておくと体内でぐんぐん生育していく。ボランティア活動で介護の老人から感謝されるそのときに、好きな人から結婚を申し込まれ飛び上がりたいほどの至福を感じているそのときに、「他人」は見えなくなり、差別感情はむっくり頭を持ち上げる。
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