「罪と罰」フョードル・ドストエフスキー

本はずいぶん前に購入していたのだが、なかなか読み始める勇気がでなかった。3週間くらいかかって、読了。
個人的には「白痴」より面白かった。

戦争や革命が起これば英雄の名のもとにたくさんの血が流されるのに、一人のしらみみたいな人間を殺めただけで、
何の問題があろうか。俺と英雄には何の違いがあるのか?
大きな目的が善を目指していれば、一つくらいの悪行は許されるという理屈。
主人公はそう思いたいが、罪の意識が心の葛藤を生む。

エピローグで語られる生きる意味については実存主義にも近い考え方だった。

現在は対象も目的もない不安、そして未来は何の実りももたらさぬたえまない無駄な犠牲、-これがこの世で彼のまえにあるすべてだった。八年過ぎてもまだやっと三十二だから、まだ生活のやり直しができるといったところで、それが何の慰めになろう!何のために生きるのだ?何を目標に置くのだ?何に突き進むのだ?存在するために生きるのか?だが彼はこれまでも、もう千回も思想に希望に、空想にまで自分の存在を捧げようとしたのではなかったか。
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